BLOG
2019.07.08
Detail daily life of the architect
Ash Takenaka
マルコデカナベーゼスの教会 アルバロ・シザ Igreja de Marco de Canaveses Alvaro Siza
ポルトの宿を早朝に出てマルコ・デ・カナベーゼスに向かう。まずは駅に向かったが、チケットの買い方もわからなければ、どの電車に乗れば良いかもわからない。ネットもいろいろ見たけどよくわかんない。タッチパネル式の券売機はあるのだが、自分の行きたい駅が出てこない。しかも早朝なので窓口らしきところも閉まっている。仕方なく、駅のガードマンらしき方にチケットの買い方を乞う。サバイバルすぎる英語を使いこなしてなんとか意思疎通をはかる。ありがたくもチケットを買うことができてオブリガードと言ってお別れをする。こうしてぎりぎりの旅が今日も一日、始まる。
電車に乗りこみ暫く、そして目的の場所に着く。降りてグーグルマップを見て徒歩で教会へ。かなり離れてはいたがてくてくと歩いた。街中を超えぶどう畑を超え、教会が見えてきた。レサのプール同様、ここでも嫌という位に青い空が似合いすぎている。壁も白く、さらにコントラストははっきりとしたものとなる。スイスとの光の違いをまざまざと感じる。
教会を一周したが、扉はどこも閉まっていた。24時間開いているというものではないようだ。よくよく見ると小さな扉のところにアナウンスが書いてあった。◯◯時から開くから待っているようにと。まだいくらか時間があったので、これでもかという位に建築を見続ける。近寄っては離れ、地面を見ては空を見上げ、光と影を追って飽きることがない。屹立としたその形は、道路からはやや角度を振りながら配置されていた。建築の前に小さな三角の庭がある感じだ。やや対峙するような形で司祭館のようなものがある。詳しいインフォメーションは得られなかったが、これもおそらくはシザの設計だろう。
時間になって牧師のような方が現れた。その司祭館の方に導かれて見に来た旨を話す。わかっていただけた様で、ノートへのサインと入場料を求められた。3ユーロ。教会で入場料を求められたのは始めてのような気がするが、気にしないことにした。払い終えて教会へ。見られるのは30分間だと言われた。問題ない。時間が短ければその分、意識を集中すれば良いだけの事だ。撮影はダメかと思ったけれど、マリアとキリストを除けば写しても良いとの事だった。
思ったよりも広くて大きくて伸びやかな空間だった。座席横に切り込まれた横長の窓から直射の日光が入る。床や木製の椅子が明るく照らし出され、それが空間に反射する。逆の壁にはハイサイドライトが穿たれて、そこからは青の空から光が放たれる。上から下から光の攻撃を喰らいながら贅沢すぎる独りの時間を過ごす。目を閉じる。ズントーの教会を思い出し、自分の中で比較する。ちょろちょろと流れる水の音に気がついた。
空間の片隅に水場が設けられていた。お清めの場所かと思う。ずっとそこからは水が流れていた。小さな小さな音なのだけど、その音が空間全体に響いていた。誰もいなかったから感じ取れたのかもしれない。響きがなんとも心地よい。音もテーマだったのだとそこで気付く。賛美歌であったりオルガンの音も心に響くだろうけど、誰もいないときに至っても十分な配慮がなされている。建築家のすべき仕事が遺憾なく発揮されている。同時にこの広い空間はここを訪れる全ての人々のものであると悟った。実に豊かな30分間だった。これがシザの空間か。控えの間にいた牧師さんにお礼を言う。 外観を振り返りつつ教会にお別れをする。まだ午前中で十分に明るかった。次の目的地、シザの集合住宅のあるポルト市内に再び向かう。